第12回 東京けやき会(1996.12.6)

平成8年12月6日(金)広尾・有栖川スタジオ

INTERNET PARTYと名付けられた第12回は、金沢美大開学50周年にあたり、東京と金沢を交信しながらみんなでハイの状態になろうというパーティでした。モニターに映し出される金沢美大の研究室に集まった方々のLIVE映像は、動きはとても鈍く声も途切れましたが、当時としては時代を先取りする画期的なチャレンジでした。ホームページも開設されました。(その後閉鎖) 実行委員(58年・59年卒)委員長 北林泰夫氏
 
  第11回 東京けやき会(1995.9.30)

平成7年9月30日(土)麻布十番・麻布十番温泉

第11回のテーマは「なごみ」。都会の真ん中のしぶい温泉、大宴会場で浮世の垢を落としてリラックス。従来の金曜夜開催を土曜夕方に移し、パーティ中いつでも温泉入り放題。風呂上がりに粋に着こなして…とオリジナルハッピも全員にプレゼントされました。畳敷きの個室を女性と子供のために開放し7時終了にして子供連れでも安心して来れる配慮は、それまで足が遠のいていた女性参加者を倍増しようという計画通り、とても好評で、「女性のネットワーク」もこれを機に広がりました。 実行委員(56年・57年卒)委員長 捧 剛太氏
 
  第10回 東京けやき会(1994.7.1)

平成6年7月1日(金)六本木・鳥居坂ガーデン

10周年記念として豪華な景品とおしゃれな会場を目玉に開かれた第10回。なんといっても1等商品ハワイ5日間のパックツアー以下、サイパン4日間、香港3日間、グアム4日間と信じられないような豪華景品に目を奪われました。豪華景品を引き当てるゲームも、新機軸の“名刺ビンゴ”大スクリーンいっぱいに広がる“けやき会記念ダービー”と会場の誰もが興奮に巻き込まれてしまいました。 実行委員(54年・55年卒)委員長 龍沢俊則氏
 
  第9回 東京けやき会(1993.7.2)

平成5年7月2日(金)渋谷・TITTIY BOO=ティティーブー

あいにくの雨の中、金沢からは原田実工芸デザイン教授と大島同窓会本部会長を来賓に迎え盛大に行われた。金沢の近況を伝えるビデオ上映や、金沢にゆかりのある商品(第7ギョーザや清酒天狗舞など)をめぐっての「ジャンケン実力美大一決定戦」で盛り上がり、惜しくも商品を手に入れられなかった人には残念賞として宝くじが手渡された。 実行委員(52年・53年卒)委員長 久保山隆弘氏
 
  第8回 東京けやき会(1992.7.3)

平成4年7月3日(金)
神宮前・ラフォーレ原宿Part2ラフォーレミュージアム・エスパス


年1回6月になると届く東京けやき会の案内状が、第8回ではタブロイド版6ページに拡大され、同窓生の展覧会情報や近況報告をふんだんに盛り込み、パーティ当日の2次会のために原宿NIJIKAI MAPも掲載されました。パーティ当日は、140名を越す方々が原宿に集合し、用意された豪華料理が美味しすぎたのか次々空になり委員一同冷や汗の中、無事みなさん2次会へと散っていきました。記念品として制作した大きな旗は会のシンボルとして今も引き継がれています。 実行委員(50年・51年卒)委員長 藤田敏郎氏
 
  第7回 東京けやき会(1991.7.5)

平成3年7月5日(金)
芝5丁目・ラフィングベリー(LAUGHING BELLY)


第7回はガラッと趣向が変わり、若ぶりっこなレストランでのグルメパーティとなりました。恒例となったネットワークブックにこの回から全メンバーの名簿(住所・電話・勤務先等)も掲載されるようになり、さらにバージョンアップ。金沢から新学長北出先生・恩師若山先生を招き、立川談志の弟子、立川笑志さんが司会をつとめました。 実行委員(48年・49年卒)委員長 大木正文氏
 
  第6回 東京けやき会(1990.7.13)

平成2年7月13日(金)神宮外苑・日本青年館4F

ヘ〜イ!!みんな元気かい!今年は生バンドを呼んで来たぜ!60年代のノリでガンガン楽しくやろう ぜ!!と謳いかけ、「BACK TO THE 1960'S "OLDDAYS SOUND GRAFFITI" playedby CHIPS & BEER」と名打った第6回は特に実行委員自身が楽しもう!をコンセプトに、生バンドを担ぎ出し、美大祭のダンスパーティを再現し、参加者が学生時代の気分に浸ろうという企画でした。 実行委員(46年・47年卒)委員長 舘 成樹氏
 
  第5回 東京けやき会(1989.7.7)

平成1年7月7日(金)神宮外苑・日本青年館4F

7月7日七夕に開かれた第5回。金沢より円地先生と同窓会本部から崎川氏、山岸先生、福田先生、新入会員13名をはじめ170名もの出席で会場は熱気ムンムン。七夕らしく竹コップでのウェルカムドリンクから始まり、メーンイベントは新会員の織女が選ぶ短冊抽選会、皆さんの好意による豪華景品が次々と当選者に手渡されました。夫婦会員への割引はこの会からのアイデア。 実行委員(44年・45年卒)委員長 大黒雄二郎氏
 
  第4回 東京けやき会(1988.7.15)

昭和63年7月15日(金)大手町・KKR東京竹橋会館 孔雀の間

「皇居一望。究極のロケーションで繰り広げる一大ロマンチック」とのキャッチフレーズで開かれた第4回は、加賀の酒(鏡割の日栄樽酒)が用意され、芝舟、ごり、くるみ煮、芝寿し等の銘品銘菓のテーブルがあり、御陣乗太鼓のリズムを肴に金沢一色で盛り上がりました。金沢からは小松先生・山岸先生と志奈会長が出席、出席予定だった若山先生からは「けやきの葉」200枚届けられ全員に配られました。雨の中遅れてきた人もいましたが、最終的に参加者は153名に達しました。 実行委員(42年・43年卒)委員長 北村隆志氏
 
  第3回 東京けやき会(1987.7.10)

昭和62年7月10日(金)西新宿三井ビル・独逸亭

第2回の会場での指名から約1年、十数回の集まりで知恵を持ちより企画を練り上げた第3回東京けやき会。ビール会社勤務の実行委員からはビール100本の協力もあり質より量でせまる。実行委員組織には23名が名を連ね、当日分担を含めほとんどの年度会員が協力した、チームワーク抜群の回でした。金沢から得能・山岸両先生と志奈会長、東京からも平野・北村・福田の先生方、関東以外の同窓生も駆けつけ、前年に続く盛会となりました。 実行委員(40年・41年卒)委員長 滋野哲彦氏
 
  第2回 東京けやき会(1986.7.16)

昭和61年7月16日(水)銀座4丁目・サッポロスターホール

朝からの雨で参加予約120人分の料理は相当残るかと心配していたところ、フタを開けると参加者は180名に達し、会場は立錐の余地もないほどの人であふれました。小田桐昭氏の「TVCM制作うらおもて」と題する講演で幕を開け、柳宗理先生から美大の学生気質について、森嘉紀先生から美大の状況についてお話があり、出席者全員の持参した品物の交換、森先生が見事一番を当てられたビンゴゲームと続きました。剰余金60万円は、当けやき会のギネスブックに。 実行委員(38年・39年卒)委員長 村 禎介氏
 
  第1回 東京けやき会(1985.6.28)

昭和60年6月28日(金)
渋谷・東急文化会館7F 東急ゴールデンホール


清水英範(28年漆工)藤代正彦(34年工意)大橋成夫(35年商美)本田正信(36日画)柿崎長悦(37年商美)の各氏が発起人となり、年度幹事の選任、実行委員(36年・37年卒)の選任など1年余りの準備を経て、金沢美大同窓会東京支部を「東京けやき会」とし新機構で発足した最初の会。梅雨空の中130名が集まり、新卒フレッシュマンの紹介、金沢からの佐々木・無量井両教授、志奈同窓会長、前田東京支部初代会長のスピーチ、同窓生諸氏の作品寄贈によるチャリティなどで盛り上がり、次年度の実行委員を38年・39年卒が担当することを決め閉会しました。